会社を長く存続させるポイント①
先日知人より、ちょっと珍しい本ですが・・・山室恭子著、『大江戸商い白書』(講談社選書)という本を紹介されました。この本の中で、江戸時代の商家の意外な姿が浮かんできて、中々興味を引かれた内容でした。
同書によりますと、江戸時代の日本は、現在の国勢調査顔負けの細かい人口 統計、商業統計がとられていたそうです。
そのデータによると、江戸時代の江戸の商家の平均存続年数(続いた年数)は、わずか15.7年との事。
なお、現在の企業の平均寿命は2014年のデータで23.5年です。 江戸時代は現在よりも生活リズムがゆったりとしていて、時代劇なんかを見ていても、市民の暮らしも時間的ゆとりがある様なイメージですが、実は、現在よりもビジネス環境は厳しかった、と考えられるのではないでしょうか?
またその厳しさは業種によって大きく異なる様で、専門性が低く同業者が 多い業界ほど、存続年数は短かった傾向があるようです。
最も(平均)存続年数が短い業種は「つき米屋」の8.1年、次が「炭薪仲買」12.9年です。この2業種は生活必需品を扱っている上に差別化要素が少ないため、競合が多く厳しい業界だった模様です。
逆に専門性が高く同業者が少ない業種ほど長寿で、例えば「薬種問屋」の(平均)存続年数は38年になっています。
では、商家(自分たちの事業)を存続させるため、前述の「つき米屋」や「炭薪仲買」の様に、差別化が難しく競争が激しい業種の人たちは、何を行ったら良いのでしょうか?
例えば、当社もお付き合いがあり、東証一部上場・創業1666年の大手機械専門商社、ユアサ商事さんは、もともと「炭薪仲買」だったそうです。 競争が激しい「炭薪仲買」の中で同社はいかに差別化を図り、350年経った今も、業界を代表する企業として存続できている理由は何なのでしょうか?
文面が長くなってしまったので、ユアサ商事さんの話はパート②に続くとしましょう。
ホクショー商事(株) 村田麿基
またもや・・・前向きに考える事
先日、日経新聞朝刊のコラムを読んでいたら、エジソンの話が出ていました。
そのコラムによれば、エジソンという人はとても前向きな人だったらしく、
工場で火事が起きた時に、実験用施設が燃えてしまったのですが、
「これは、もっと良い施設に変えるチャンスである」と考えたそうです。
また、前回のブログでもご紹介した松下幸之助さんは、電球の試作に1万個失敗しても、「うまくいかない方法を1万個見つけただけだ」とおっしゃったとのエピソードも
ありますし、経営について、「好況よし、不況またよし」ともおっしゃっています。
やはり、とても前向きな方だったようです。
「事業が成功する」(仕事が上手くいく)ための心構えということを、良く考えますが、仕事が上手くいくためには、
(1)前向きであること、
(2)利他心をもつこと の二つが大切だと思っています。
「事業が成功する」(仕事が上手くいく)人は、やはり前向きな考え方の人です。
前向きであれば、同じものを見ても「できる」と考えますが、
後ろ向きなら「できない」理由を考えます。
結果が違ってくるのは明らかです。
加えて、前向きの人は明るいですから、周りの人から好かれるということもあると思います。何でも前向きというのも、危なっかしいところがありますが、やはり、前向きが大切だと痛感した瞬間でもありました。
さて、自分は・・・毎日が修行ですね。
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村田麿基
常に明るく前向きに②
さて、2つの話とは・・・
- 浄土真宗の開祖 親鸞聖人でさえも、自分の息子の善鸞にはずいぶんと泣かされている。色々と問題を起こすし、親父の考えは間違っていると言いふらしたりする。親鸞聖人としては、こんな辛いことは無い。結局嘆きつつも、じっと我慢していた。
- 我々の体と同じでね、年中どこも健康と言う訳にはいかん。現実には、胃が弱いとか、血圧が高いとか、どこか具合の悪い所を抱えていると言う場合が多いでしょう。その時は無理をしないで、病気が悪化したり、再発したりせんように、気を配りながらやっていかねばならんでしょう。
この2つの話の後で・・・
仕事をやり、人を使っていく上でも同じことが言えるんです。ある程度の負担と言うか、多少足を引っ張られる事は、最初から覚悟してかからんことには。
と結んでいます。
さらに、お釈迦様も、人間にとって一番まずいことは、愚痴を言う事と迷ってばかりいる事だとおっしゃっています。
つまり、経営者にとっても、愚痴を言う事と迷ってばかりいる事が一番まずい事だと、私も思い至りました。
常に明るく前向きな人でなければ、運にも恵まれないものだと思います。所謂、運の良い経営者と運の悪い経営者を分ける大きな分岐点にもなるのではないでしょうか。
私も、ちょっと前まで、社内の人に関わる問題で、愚痴っぽくなったり迷ったりしていましたが、こんな話を聞いて、気が楽になりました。
常に明るく前向きに・・・行きたいものだと再確認出来たお言葉でした。
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村田麿基
常に明るく前向きに①
1976(昭和51)年に、松下幸之助氏はある経営者に対して、こんな経営問答をしています。
(問)組織の中に、何かにつけて私の意向に逆らって、言動をとる部下が居て困っています。
経営者として、彼らを根気良く育てる努力を続けるべきか、それとも彼らに頼らずとも仕事が流れるように、思い切って仕組みを変える事を考えるべきでしょうか?
(答)そのどっちも必要だけれど、しいて言うなら後の方でしょうな。
ただいずれにしても、この事だけはしっかりと覚えておかねばならんです。
それは、10人を使ったら、その中の1人はいつも反対し、邪魔になる。
言ってみれば、プラスにならんでむしろマイナスで、採用しなかった方が良かったと言う人です。そして、もう2人は、居ても居なくても良いという連中。
要するに、10人の人を使うとなると、うち3人は戦力としてプラスにならん。にも関わらず、それをも抱えていくと言う事を最初に考えておかなければいけないと言う事です。
このくらいの事を覚悟して商売しないと、つい愚痴ばかり言いたくなってします。
そして、松下幸之助氏は、次の2つの話をだして、より相手に良く分かるように答えています。
長くなりましたので、2つの話はパート②にてご紹介させていただきます。
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成功観について思う事⑤
松下幸之助さんの言葉を聞いて、私が思う事・・・。
経営者の端くれとして考える事は、
企業の大きな責務の一つは、社会からお預かりしている人財(=社員)をいかに成長、成功させていくかであると思います。
社員一人一人の天分を見つけ出していく事を手伝うのが、経営者の大切な使命ではないかと考えるに至りました。
当社は、創業当時から『人生陶冶』という考え方に基づいて、会社を運営しています。
難しい言葉ですので、詳しい説明は省かせていただきますが、今まで述べられてきた、松下幸之助さんの考え方に近いものだと考えています。
『人生の成功』を考えていたら、こんなところに行きついた次第です。
確かに当社は、ベアリング・ボールブッシュ・バルブ・流体継手などの機械要素部品と工作機械を販売しておりますが、本当の「売り」は・・・、
『天分を見つけた幸せな社員』からのメッセージだと、つくづく感じた次第です。
私の探究は、まだまだ続きます・・・。
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成功観について思う事④
- それでは、天分とはどうすれば見いだせるのでしょうか?
これについての、松下幸之助さんの見解を書いています。
『天分はそう簡単には見いだせない形で与えられている。
ます、何と言っても、自分の天分を見出したいという強い願いを持たなければならない。
そのためには、素直な心を持っている必要がある。
素直な心が欠けていると、自分自身を買い被ったり、他人の勧めを曲解したりして、とんでもない方向に進んでしまう事になる。
すなわち、強い願いと素直な心、この二つがいつも用意されている必要がある。』
と述べております。
素直な心とは、寛容にして私心無き心、広く人の教えを受ける心、分を楽しむ心です。
そして、松下幸之助さんは、
『各人が天分を見出し、その発揮に努める時、全ての人が成功し、全ての人に幸福が実現してくる、このような成功観を持たなければいけない。』
と述べています。
さてさて、自分は・・・
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成功観について思う事③
流石、松下幸之助さん。なかなか心に響くことをおっしゃっています。
さらに、続きます。
『すなわち、社会的地位や名誉や財産は、成功の基準とはなってこない。
自分に与えられた天分に沿うか沿わないか、これが成功の基準となってくる
社会的地位や名誉や財産さえ得られれば良いというので、非常に無理な努力をして、自分の天分をゆがめ、損なう場合が多く、結果的には幸福にはなれなかった。
幸福には、必ずしも地位や名誉や財産を必要としない。
自分に与えられた天分の中に生きていく、すなわち、人間としての成功を遂げる時に初めて幸福を味わう事が出来る』
と述べています。
それでは、天分とはどうすれば見いだせるのでしょうか?
一番気になるところです。
これについては、文章が長くなってきたので、以下パート④にて記したいと思います。
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