『これから日本のものづくりが注力すべき分野』①
新たな産業は不況期に生まれる、といいますが、歴史を振り返ると大きなチャンスは大
きなピンチの中にあることがよくわかります。
例えば60年前の1957年頃というの『なべ底不況』といわれる不況期でした。
その名の通り、これはしばらく回復しないだろうと思われていた大不況が2年くらいで
回復し、その後日本は高度経済成長に突入ていきます。
この時の日本の産業の立役者はコンビナートでした。
第二次世界大戦直後と言う事で、アメリカやイギリスなど、戦勝国は工場が破壊されて
おらず、工場は古い設備のままでした。
また当時の製鉄所は鉄鉱石や石炭の採掘される鉱山の近くにつくるのが普通で、アメリ
カやイギリスでは内陸部に製鉄所が建設されていたそうです。
ところが内陸部だとその他の必要な原料を輸送するのに鉄道を使わざるをえません。
鉄道だと10トン貨車でも3万トンの物資を運ぶのに3000両もの貨物列車が必要になります。
ところが日本は資源が無く、また戦争で工場が破壊されていたため製鉄所を海側に作る
ことが出来ました。
現在のコンビナートです。
船だと1隻で2~3万トンの物資を運ぶことが出来ます。
鉄道を使用するのと比べると劇的にコストが安くなります。
その結果、日本は世界中から船で原料を輸入し、そして完成した鉄を船で出荷すること
で、資源を持つアメリカやイギリスよりも高い生産性でモノづくりが出来たわけです。
こうした生産性の高さが日本を高度経済成長に導いたと、歴史として証明されていま
す。
まさにピンチはチャンスといえるでしょう。
そして現在・・・、
東西冷戦が終結して中国などローコストな国が国際経済に加わってから、世界的な分業
体制が組みあがりました。
コンセプト開発がアメリカ、生産が台湾・中国という構図です。
例えば、かつて、キャノンはヒューレットパッカードのプリンターのOEM生産を受託
していた歴史が有る様に、かつては競合メーカーに生産を委託することが多かったわけ
ですが、これは長期的に見ると「敵に塩を送る」ことになりかねません。
そうした中、「我々は自社ブランド品はつくりませんから、守秘義務も守れるし将来の
敵にもなりませんよ」と、世界中でOEMの仕事を受託して成長したのが台湾のホンハ
イ(フォックスコン)であり、TSMCといったEMSです。
日本のメーカーは、戦後から現代にかけて、受託する側→発注する側に回ったため、こ
の分野この手法での成長はもう考えられません。 では日本として、これからどんな分野
を伸ばすべきなのでしょうか。
文章が長くなってしまったので、後半は第二弾にてお話ししたいと思います。
ホクショー商事㈱
村田 麿基